「認知的不協和」
あまり聞きなれない言葉かもしれません。
防災等では良く聞かれる言葉です。
ある一定の周期で大地震が来る。
木造住宅で耐震化は必須である。
建物だけでなく、家具などの倒壊防止も重要である。
誰しも、認識していることですね。
このように、しっかり認識していることであっても、
自分は大丈夫!という気持ちになってしまう。
または、まだ大丈夫。
防災関連の製品の問い合わせも同様です。
例えば、今年の台風24号による大規模停電。
まだ、記憶に新しいところです。
その停電の最中や、直後は、
非常電源需要もかなり多くありましたが、
2か月程度経過し、
まだ完全に屋根の修復も完了していないのですが、
如何でしょうか?
非常用として、どこまでやる必要があるか?
と考え出した時点で、多分保留になったと思います。
これを、シニアライフで考えてみます。
例えば、
特に老後のことは色々心配だが・・・自分だけは大丈夫!
まだまだ先のこと、落ち着いたら考える。(気持ちはいつでも20代30代)
親も元気だ、自分のことは自分でやれる。(いつまでも親は親)
今は、仕事や子どもことで忙しい!(まず優先は子どもの事)
自分自身の定年後・老後はイメージできない!(若い者には負けない)
今日、クルマを運転していて思ったことがあります。
今日は、そこそこ遠出をする予定でした。
でも、残念ながら昨日と今朝、
余裕が無くクルマの給油ができませんでした。
途中、土地勘が無いため、
どこにガソリンスタンドがあるか分かりません。
燃料計の警告ランプも点灯し、
残りの走行距離目安もどんどん少なくなってきます。
完全に余裕がありません。
こうなると、給油のこと以外は考えられず、
いつ止まるかと冷や冷やものです。
かなりストレスを感じました。
ここから、老後資金を連想しました。
2か月に1回、振り込まれる年金。
偶数月の15日に、待ちかねたように
金融機関に行く高齢者。
ガソリンとは違いますが、
残金と日常生活。
多少の余裕が欲しいですね。